

おはようございます。稲垣陽子です。
コーチングを学び始めた多くの人が、最初にぶち当たる壁があります。
それは、「質問」です。
目の前の人に「うまく質問ができない」と悩む人が多くいます。
実際、私もよく、こんな相談を受けます。
「もっと、相手が深く考えられるような質問をしたいです」
「気づきを引き出す質問が、うまくできません」
質問は、これまで気づかなかったことに気づいたり、自分の考えを深く探求したり、立ち止まって内省したりする時に役に立つスキルです。
気づきを引き起こそうとするコーチングにとっては、要となるスキルとも言えるでしょう。
しかし最近、ふと思うことがありました。
質問の目的は、本当に「気づきを引き起こすこと」なのだろうか、と。
先日、クローズドで自己啓発セミナーを開催しました。
その中で、コミュニケーションの一つとして質問スキルについてお伝えしたのですが、
参加していた方々が悩んでいたのは、相手を深く内省させる質問でも、気づきを与える質問でもありませんでした。
もっと素朴なものでした。
「人と話が続かない」
「何を聞いたらいいかわからない」
「もっと目の前の人と自然に対話できるようになりたい」
つまり、対話が生まれ続けるための「質問」を求めていたのです。
そこで私は、改めて思いました。
本来、人と人とのコミュニケーションとは、そういうものではなかっただろうか、と。
必ずしも、何か意味のある結論にたどり着かなくてもいい。
相手を深く内省させなくても、人生を変えるような気づきを与えなくてもいい。
ただ、一緒にいて、心が幸せになるような対話がずっと続いていく関係を目の前の人と持ちたい。
私が尊敬するメンターで、コーチ・エィ創始者の伊藤守さんは、こんな言葉を教えてくれました。
「根も葉もない話が続く。そこはかとなく楽しい」
私は、この「そこはかとなく楽しい」という感じが、とても好きです。
ちなみにそれは、井戸端会議のように「ただ話す人だけがいる場」(どちらか一方が話し続け、もう一方がただ聞いているだけの場のこと)、とは違います。
話は盛り上がらなくてもいいんです。
大笑いしなくてもいいんです。
ただ、関心が自分ではなく、相手に向かっている。
お互いの関心が、お互いに向かっている場です。
そうすると、相手の何気ない話であっても、
「それで、どうなったの?」
「へえ、そうなんだ。それで、それで?」
そんなふうに、一つの問いが次の問いを連れてきてくれます。
先日、インターネットで、日本テレビ『嵐にしやがれ』の切り抜き動画を見かけました。
嵐の大野智さんの幼なじみが、子どもの頃のエピソードを話していました。
それは、二人で遊んだあとの別れ際の思い出話でした。
大野さんが家に帰るとき、「かっちゃん、バイバイ」「大野、バイバイ」と、
お互いの姿が見えなくなるまで、何度も「バイバイ」を言い合ったそうです。
幼なじみは、その時のことを「名残惜しかった」と振り返っていました。
私はその話を聞いて、なんて素敵なんだろうと思いました。
役に立つ話をしたわけではない。何かが解決したわけでもない。
すごい気づきがあったわけでもない。
それなのに、まだ、この人と話したいと思う。
そこには、コミュニケーションに疲れるとか、一緒にいて緊張するとか、そんなものが入り込む隙間はきっとないのでしょう。
だから、改めて思うのです。
質問力は、相手の存在に対する関心度に比例する、と。
人は、本音を引き出そうとして関わってこられると、どこかで身構えます。
けれど、関心を持ってオープンに聞いてくれる人の前だと、思わず本音をぽろっと話してしまう、なんてことはないでしょうか。
この人の前なら、うまくまとめなくても大丈夫。
役に立つことを言わなくても大丈夫。途中で考えが変わっても大丈夫。
そう思えたとき、人は自分でも知らなかったことを話し始めます。
「いい質問ができる人」になることも大切です。
けれど、それ以上に、
「ずっと話していたくなる人」
になれたら、どんなにいいだろうと思います。
気づかせようとしなくてもいい。
変えようとしなくてもいい。
正しい答えに導こうとしなくてもいい。
ただ、目の前の人に関心を向ける。
「あなたのことを、もう少し聞いてみたい」
その気持ちが言葉になったものを、私たちは「質問」と呼ぶのかもしれません。