おはようございます。稲垣友仁です。
先週の共創コーチングメルマガでは、稲垣陽子が「6/30やると決めたことがやれない理由」ということで、コラムを執筆しました。
何人かの方から感想のメールをいただき、同じように悩んでいる方が多いことに気づきました。
僕もちょうど似たようなことで悩んでいたので、それについて書こうと思います。
僕の場合は、「先延ばし」です。
「次こそは早めにやろう」と思ったのに、結局またギリギリになってしまった…
そんな経験はないでしょうか?
僕は現在、大学院で研究をしています。
指導教員との1on1の研究指導が3週間に1度あり、それまでに調査や論文の執筆などを進めなければなりません。
指導を受けた直後は「今度こそ、計画的にやって、ギリギリにならないようにしよう」と心に決めるんですが、不思議なことに、すぐには手をつけられず、気づけばまた締切間際に焦って馬力・徹夜で仕上げる…。
そんなことを、この2年間ずっと繰り返してきました。
この「先延ばし」のサイクルは、本人の意志や根性だけではなかなか抜け出せません。
なぜなら、先延ばしには、私たちの脳と心のメカニズムが深く関わっているからです。
今からタスクを処理しようと思ったときに、不安や抵抗感がわき
「うまくできなかったらどうしよう」「面倒だな」「何から手をつければいいんだろう」という無意識の心の声がでてきます。
「まあいいか、時間もあるし」と上記のような感情を避けるために、つい別の行動(スマホを見たり、他の仕事を始めたり)に逃げてしまう。
その結果、「やらなきゃ」というプレッシャーがどんどん積み重なり、
最後には締切前の自分を責めながら、一気に詰め込む羽目になるのです。
このような行動パターンの背後には、脳の構造が関係しています。
私たちの前頭前皮質は、未来を見通し、計画を立て、自己制御する力を持ちますが、同時に大脳辺縁系は「今ここ」の快・不快に敏感で、不安や不快感を避けようとします。
つまり、目の前のタスクに不安やストレスがあると、脳は無意識に「回避行動」へと導いてしまうのです。
さらに、先延ばしの背景には、完璧主義、批判への恐れ、低い自尊心、健全な境界線の欠如など、私たちの内面的な「心のクセ」が大きく影響していることもあります。
この2年間、僕は「またギリギリだ…」「なんで早くやらなかったんだ」と自己嫌悪を繰り返してきました。
でも、その中で気づいたことがあります。
それは、「できなかった自分」よりも、「それでも続けてきた自分」にも目を向けること。
たしかに毎回ギリギリだった。だけど、やめなかった。
少しずつでも、課題に向き合い、積み重ねてきた。
その結果、論文の草稿ができ、調査結果がまとまり、自分なりの問いが深まってきた。
これらは、すぐに行動できなかった自分を否定するのではなく、
「それでも前に進んできた自分」を肯定する大切な証だと思っています。
大事なのは、「なぜ自分は先延ばしをするのか?」というパターンに気づくことです。
僕の場合は、
こうした自分の傾向に気づいたことで、少しずつ対処できるようになってきました。
たとえば、「完璧じゃなくていい、まず5分だけやる」「始めるだけでいい」「一行だけでも書く」
そんな小さなステップから行動を始めると、不思議と気持ちが動き始めるのです。と同時に、「嫌になってきたら一旦辞めればいい」とも思いながら進めています。
僕は今も、先延ばしを完全に克服したわけではありません。
何かを先延ばしにしているとしたら、それは別に「意志が弱いから」ではないと思えるようになりました。
人間、賢くなればなるほど、不安や恐怖を感じることは大きくなるのではないかと思います。脳の構造がそうなっているだけなので、気にせずその構造をうまく使えばいい。
やらなければならないことは最終的にはやります。
それは実績として知っているので、どうせやるなら楽に、楽しく、やりたい。そして、いい結果を味わいたい。
そのようなことを実現できる構造にするにはどうしたらいいのか?それを考えながらやっています。
今はAiの出現によって、止まりそうなところでも提案してもらえるので、それを皮切りに一気に進めることが可能となってきました。
このメルマガも、いつもは日曜日に徹夜して10時間以上もかけながらやっていたのが、1、2時間ぐらいで週末には書き終えていることも増えてきました。
小さな一歩を歩む習慣と、文明の力であるツールも使いながら、1つ1つの作業を楽しんで、充実したアウトプットを出せるよう歩んでいければと思います。
稲垣友仁
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