おはようございます。稲垣陽子です。
ずっと「期待しない」ことについて考えています。
私は些細なことでしょっちゅう人に期待してしまいます。
そして、大抵、期待通りではないので「あーあ」と落ち込みます。
例えば、家族にご飯を作ります。どこかで期待するのです。
「美味しい!」と目を輝かせて言ってくれることを。
でも、そんなことはありません(笑)
コーチングでも起こります。
課題を前になかなか打開できない人に対して、
一瞬でも「〜〜すればいいのに」と感情が動く時があります。
心の中で、もっと柔軟に考えたら、目の前の人に謝ったら、
予定通りに行動したらうまくいくのに、と期待してしまいます。
その期待を純粋な好奇心に変えて
対話を作れている時は良いのですが、
感情が入りすぎると、言葉に妙な力が入ってしまいます。
必要以上に声のトーンを変えて質問をしてしまったり、
目に力をこめてフィードバックをしたりなど、
ニュートラルさがなくなります。
ニュートラルさがなくなると、
相手との関係の力学が一気に変わります。
相手が依存になってしまうのです。
つまり、コーチ側が考え、解を出そうとする。
コーチが正しい人になってしまうと、その人の力が使えなくなります。
相手のautonomy(自律性)を邪魔してしまうのです。
どうしたら自分の中の「期待」を手放せるのか?
そんなことを常々考えていたら、
家の近くのお寺で毎朝7時に
朝のお勤め(お経を読む)があることを知りました。
物は試しと、朝のお勤めに参加してみました。
全くのアウェー感で緊張しましたし
お経もわからなかったのですが、
すっきりとしたので、次の日も、
また次の日も参加をしてみました。
どうせ参加するなら私もお経を読みたいなと思い、
優しそうな女性に経本はどこで手に入るのか聞いてみました。
その人は丁寧に
「ここに貸出用のがあるので使って良いですよ」
と教えてくれました。
さらに、どこを読むのか私に教えようとその経本を開いたら、
その方が「あら、しおりがはさんである」と言うのです。
朝のお経は毎日、読むところが少しずつ変わります。
が、今日読むところにしおりが挟んであったのでした。
誰かが故意にやらなければ
ドンピシャそのページにしおりが挟まれることはありません。
ここからは想像でしかないですが、
おそらく準備に来るお坊さんが、
しおりを挟んでくれていたのではと思います。
別に私のためではなかったかもしれません。
毎朝やるべき行の一つに過ぎなかったのかもしれません。
でも、ここにあるよ、とか、使って良いですよ、
なんてことは一言も言われることなく、
私が手にしたいと思うその時まで、
最善の準備はするけれど、ほっておいてくれました。
ほっておくとはある意味期待されないこと。
でも、私は期待されないことで、
自分にとって最高のタイミングで
自ら選ぶことができたのです。
コーチングも同じようなところがあります。
コーチとしてのあり方について書いてある文章があるのですが、
そこには、主にコーチング前後の準備や心構えについて書いてあります。
人のために動くのではなく、
自分がやるべきことに集中することが回り回って、
本当の意味での誰かのためになるのかもしれません。
つまり、自己を整えることと場づくりのために
最善の準備やスキルを磨くことはするけれど、
その先に起こることに対しては、
自身の範疇の外のことであり、期待しない。
そうすることで、
自分の思い通りにはならないかもしれませんが、
思った以上のことが起こったり、
その人の自律性が爆発するかもしれません。
今週はぜひ「期待しない」1週間を過ごしてみませんか?
周りに期待するのではなく、自分の思いに集中してみましょう。
素敵な1週間になりますように。
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