おはようございます。稲垣陽子です。
我が家は3人家族です。
主人と私と高校生の息子、3人で住んでいます。
ある日の夕食のこと。
作った料理を食卓に並べた私はあることに気づきました。
食卓は4人がけのテーブルで、私の隣に主人そして私の前に息子が座っています。
我が家は大皿料理がメイン。作った料理を真ん中に置いて各自が取り分ける方式です。
でも、料理がテーブルの真ん中に置かれていないんです。明らかに、息子の席の方に寄って置かれています。
一体誰が置いたの!と言いたいところですが、それは私でした。
料理を作るとき、私は無意識にできれば育ち盛りの息子にたくさん食べて欲しい、喜んでもらいたい、これ、美味しいよ!これはおすすめ!!そんな思いで、作っています。
その思いが行動に現れるのでしょう。
気づけば数々の料理はかなり息子の席側に片寄って置かれているじゃないですか!明らかに不公平です。
必然的に、主人の前はなんとなく閑散とした状態に・・・。
それが息子に喜ばれているかと言うと、そんなことはないのです。
「美味しい?」と聞いても「うん」程度。「これ美味しいから食べて!」というと、「おいしいかどうかを決めるのは僕だ」と冷ややかに言われる始末・・。
以前より共創を創り出すためには、関係性において「対等」が大切であるとお伝えしてきました。
立場は違えども、思考や存在において上でも下でもなく、同じく等しい関係。相手も私も対等な立ち位置で関わることが「対等」です。
そんな「対等」が起こりやすい環境とはどんなところでしょうか。
一つには「公平」があると思います。
対等を創り出すためには前提に「公平」であることが大切なのではと思ったのです。
公平とは「すべてのものを同じように扱うこと」です。
私たちは前提に公平な雰囲気がある中で、お互いが対等でいられるのではないでしょうか。
不公平感って皆さんも経験があると思いますが、キャッチしやすいって思いませんか?
もし自分が不公平に扱われたら、ネガティブな気持ちになりますよね。
でも、逆に贔屓されたとしても、あまりいい気持ちはしなかったりしませんか。罪悪感や後ろめたさ感が残ったりします。
つまり、不公平な環境の中にいると、どちらの立場であれ、なんとなくどんよりと鬱積した雰囲気になります。その中で、目の前の人と「対等」になろうと思っても・・・
「あいつはさっきおかずを遠ざけた」
みたいな「しこり」があって対等に話そうなんて気にはならないと想像できます。
上だから、下だからとか、女だから、男だからとかではなく、同じように扱われている「公平」な中に「対等」な関係は生まれやすくなります。
まずは、「公平」な環境を創り出す。
私のように無意識のちょっとした行動にその人の「公平」さは現れます。
「全てを同じように扱う」
そう思って、今週はぜひご自身の「公平」さに細心の意識を向けてみてくださいね!
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