おはようございます、稲垣陽子です。
11月3日の10周年フェスタには、70名を超える方々にご参加いただきました。
心から感謝申し上げます。
何よりも、受講生の皆さんが有志で実行委員を務め、
企画から運営、さらにはサプライズまで、心を込めた準備をしてくれました。
このフェスタはまさに「共創」を体現する場となり、
私にとっても大変幸せな時間でした。
そんな準備の最中、私の父が10月22日に闘病の末に他界しました。
今日は父の死を通して学んだことをお伝えしたいと思います。
私の父は穏やかで、楽しい雰囲気を好む人でした。
お酒も好きな人だったので、地元に行きつけのお店が何軒もありました。
父の亡き後、母の希望でその馴染みのお店にお礼も兼ねて足を運びました。
初めての4軒ハシゴで、ビールでお腹がいっぱいになりながらも、
そこで聞いた父にまつわる話は少し意外なものでした。
どのお店の方も「母との馴れ初めを自慢話としてよく話していた」と教えてくれたのです。
私は正直驚きました。
家ではそんな話を聞いたことがなかったからです。
私が小さい頃、父と母は仲が悪かったわけではありませんが、
子どもの眼からは特別に仲が良いとも感じられませんでした。
ときには小さな言い合いもあり、そのたびに私は心がざわついて、
二人の間を和ませようと明るく振る舞ったり、笑わせようとしたりしていました。
けれども、それがいつも上手くいったわけではなく、
私はどこか自分を役に立たない「仲裁者」のように感じていました。
それでも、時には上手く行くこともあり、
「明るく振る舞うこと」が自分の役割だと無自覚レベルで思うようになりました。
しかし、改めて今回の父の話を聞いて、
それは私の思い込みであったことに気づかされました。
父と母は愛し合っていた。私が笑わせなくても、
明るくしなくても、そこには確かに愛があったのだと気づかされました。
実はこのことに、私はとうの昔に気づいていたように思います。
それでも「仲裁が必要」と思い続けることで、
自分の「役割」を見出し、存在価値を感じたかったのかもしれません。
私の場合は「仲裁者」という役割でしたが、
誰もが無自覚に勝手に背負い込む「関係性の中の役割」があると思います。
例えば長女として育った人は「お姉ちゃんだからしっかりしなさい」と言われて、
「しっかり者」が自分の役割だと思っていませんか。
逆に末っ子は「天然」「癒しキャラ」を役割だと思っているかもしれません。
社長の息子として育った人は
「リーダー」や「切れ者」という役割に普通の人より敏感に反応します。
その役割は、あなたの支えとなったり、能力にもなりますが、
行き過ぎると本当の自分が見えなくなってしまうこともあります。
今回、父の死を通して「本当の自分を生きなさい。
誰かのための役割ではなく、本当の自分を出して生きなさい」と
穏やかに背中を押してもらったような気がします。
皆さんはどんな役割を担っていますか?
その役割は本当に求められているものでしょうか?
ご自身で勝手に作り出した役割ではないですか?
一度自分が作り出した役割から降りてみませんか。
そうすると、いつもより世界が少し変わって見えるかもしれません。
そして、改めて、役割で培った才能が1周回って
本当の自分の才能として生き生きと使えるようになります。
実際、私は今、心から明るく振る舞うという才能を
惜しみなく発揮できているように感じています。
よかったら試してみてください。
今週も素敵な1週間をお過ごしくださいね。
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