員弁郡東員町立 稲部小学校 教頭 辻哲哉氏インタビュー 2008・7・29
辻哲哉先生は、現在、三重県北部ののどかな田園地帯で、小学校の教頭先生をしています。
私、稲垣友仁が、辻先生に初めて出会ったのは、約15年前、初めて赴任した中学校でした。
当時から、辻先生が赴任した地域では、荒れている学校が多かったのですが、辻先生と同僚の先生方は、当時から「学校力」という視点に着目し、教師全員の力で荒れに立ち向かっていました。
でも、私がこれはすごい、と殊更感じたのは、辻先生に受け持ってもらった子どもたちの姿でした。
下は1999年の6月、辻先生のクラス(小学校6年生担任)で行われた理科の授業。
45分ある授業のほんの一部です。その45分の授業の中で、辻先生がしゃべるのは3回だけ。
最初と途中の軌道修正の質問と最後。それ以外は、ずーっと子どもたちが授業を進めていきます。
それでは動画をご覧ください。
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この学級の子どもたちは、とても明るく、元気で伸び伸びしています。
そして、何よりも子どもたちの雰囲気が安心感に満ち溢れている。
教室に入った瞬間に温泉につかったような気持ちよさが伝わってくるクラスでした。
失敗してもいい、間違ってもいいから、みんなで真実を見つけるんだ。
みんなで伸びよう、自分自身の力を出し切ろう。
そういう雰囲気が満ち溢れている。
そうしていく中で、一人ひとりが磨かれ、クラスが本来の能力を磨きあう場になって行きます。
この学級の子どもたちが中学校に進級すると自分たちでネットワークを築いて、自分たちで問題を解決しようとしていく。
問題解決に向けてのスキルを持っている子が育っているので、その子たちが学校を巻き込んで、とてもいい集団に育っていってくれます。
先生の授業の指導案を見てみると、子どもたちが発言する意見の予想が書いてあるのですが、ずばり全部予想通りに流れていきます。
子ども達が間違える場所までも予想されていて、その通りに子ども達が迷います。
しかし、そこで、辻先生には、3つ質問が用意されてあり、見事に1個目の質問で子ども達が授業の流れに戻ってくる。
子どもの発言を予想する能力に驚かされます。
そんな辻先生が、どうして、こんなクラスを作れるようになったのか?とても興味ありますよね。
辻先生は無意識かもしれませんが、随所にコーチング的な手法をちりばめています。
その辺りを明らかにできたら、多くの方のお役に立てるのではないかと思い、今回インタビューをお願いしました。
インタビューの中では、学校教育の現場でコーチングを活かす実践スキルを惜しみなく紹介してくれていますのでじっくり読んでください。
2校目に赴任したその中学校は、当時とても荒れていました。
バイクが廊下を走るような学校で、体育館に入ったらすごい様子、『スクールウォーズ』顔負けに荒れている状態でした。
そんな中で教師をやっていたので、当時は、思いっきり生徒達をひっぱっていましたね。いわゆる、最初は、ひっぱる型の教師だったんですよ。
ある年、例によって学級の子どもたちを、「ついてこい」って感じで統率しはじめたんですね。ところがね、いつもと調子が違うことが起こった。
1年生を教える時は、授業って最初はうまくいかないから、まず行う常套手段があるんです。
最初はにこやかに話して、おもしろおかしく笑わせて、調子に乗ってきたとこで、一度「ばぁーん!」と怒って、クラスの雰囲気を引き締めるというパターンですね。
『もうこんなクラスでは授業できやん』と言って、職員室に帰っていく。
すると子どもたちは自然に集まって、
『これは、やばい』って話し合いをして、あらすじとしては、謝りにくるわけです。
『先生これから頑張ります』って。
で、自分は、『よし』という。すると、次から授業が違うわけです(集中して、引き締まった授業になる)。
いつもなら、こうなるのですが・・・。
でも、そのときの子どもたちは違ってたんです。
いつものごとく、僕が生徒達に怒って教室を出る。しばらくしたら、職員室へ何人かがやって来たんですね。僕は来た来たと思っていたんですが、
そしたら、
『先生言いたいことがあります。
私たちは先生のロボットではありません。
先生の言うとおりには私たちはできません。』という。
僕はここでカチンとくるわけですよ。しかも予想していたことと違うことだったので、半分は狼狽してます。
『なんやそれ!!』って言ったら、
『先生が、望んでいる授業と、私たちが望んでいる授業は違います。私たちは私たちのしたい授業をしたいんです。』
狼狽したぼくは、『何がしたいんや!』って。
そこは子どもなんですね。
『それはわかりません。わからないけども、先生がしようとしている授業と私たちは違います。』
って言われたんですね。
ショックでしたね。どうも、このあたりが自分の転換期と感じています。
その翌年。学校の体育部を持ちました。
子ども達が任意で集まる委員会みたいなものですね。
その子たちがドッジボール大会、球技大会をしたいと言い出したとき、『ふっと全てのことを子どもたちにまかせる瞬間』が来たんですね。多分、この子たちと馬があったんだと思います。
今までは、任せてるふりして干渉してたように思います。でも、そのときは、妙に波長があったんですね。
話し合いの中で、子どもたちがずっとやりたいことを意見として言っているんですが、僕はそれを笑って見ていることができたんです。
そして、うまくいかないところだけ、『こうやってしたらどう?』って言っていました。
で、結局成功したんです。
委員会は6ヵ月で交代するんだけど、『ものすごく楽しかった!また先生のいる委員会に行きたい。』って言ってくれた。それがすごく自分の印象に残ってます。
そのときに任せるっていう真の意味を理解できたように思います。
今までも任せてきたつもりだったけど、それは自分の引いたレールの上に子どもたちを乗っけていただけなんだと分かった。
僕の方から初めて、自分から立ち上がって、歩いて子どもの前に行った。
それまでは、僕がいるところにイスを用意して、子どもにそこまで来させて『座れ』ってやっていた。この時、初めて僕は子どものとなりに座れた。
それまで子どもと一緒に眺めていた景色は、いつも対面だったけど、初めて同じ方向に座り、同じ方向を見、同じ景色を見たんです。ベンチに一緒に座る視点を持ったのは、これが初めてでした。
先ほどの中学校に勤務している間に「答えのない道徳」、という取り組みが始まりました。
この中学校に赴任されたI校長先生が、『答えのない道徳をする』っておっしゃったんですね。
意味が理解できなかった僕と同僚は反対したんですよ。そんなものは道徳と違うって。道徳は答えがあるべきだって。
でも、校長先生は,
『違うんや。まず道徳の時間に、答えがないから自由にものが言えるようにしてやると、子どもたちは普通の授業の中で自分の想いをどんどん言えるようになる。
これは道徳のためにやるんじゃなくて、この中学校の授業を変えていくためにやるんや。
子どもたちが子どもたち同士で語り合い、子どもたち同士の想いをぶつけ合う、その前段階として道徳をやるんや。』
とおっしゃった。
それでようやく納得した僕らは賛成して、始まった取り組みなんですね。結局それが、2年、3年ってやっていく中で、他の授業にも実際に活かされることになりました。
例えば、社会の授業で、
『どうして三重県は北部に人口が集中するのでしょう。皆考えてみてください』
って言うと、子どもたちは考える。 でも、これで満足してたらダメ。この質問は僕自身の発想でしょ。先生の発想なんです。
で、次はどうするかって言うと、地図を広げて『何か気が付くことない?』って子どもに聞く。
すると、子どもたちからいっぱい気付くことがでてきますよね。
その中に、『先生、これ北の方にばっかり人が住んでるよー。』って子どもから出てくるわけです。
そうすると他の子どもたちはハッとする。
そこで僕が、『みんなー、この子が、こんなこと言ってるけど、どうしてだろうね?』って聞くと、もっと食いついてくる授業になる。
さらにもう一段進むと、
『あれ?三重県の北の方ばっかに人がいる、おかしいな。』って子どもがつぶやくと、その子どものつぶやきに『おかしいな。調べてみようか。』って他の子どもが言い出すようになる。
教師の仕事はそれを黒板に書くだけになります。
こうして完全に、授業が子どもたちの手で出来上がる。そのほうが、ずっと子ども達の理解が進むし、深まるんです。
こうやって、中学校の社会の授業に活かすことができるようになりました。
その後、理科の授業を担当することになった。自分は理科が専門ではないんですね。で、さっきの手法を使った。
授業を2時間通しにしてもらって、1時間は実験に対する予想を立て、もう1時間実験をする。
実験の結果に関して子どもたちに討論させると、授業が、めちゃくちゃ面白くなるわけなんです。子どもから出てきた意見を、子どもが返してくれる。
4月は話し合う視点が分からないから、僕が『これは、どうしてこうなるんだろうね?』って視点のモデルを提示する。
5月6月になると、子どもたちの方から『なんでやろ?』っていう声がだんだん上がってくる。で、2学期の中間になると子どもたちの方もわかってくるんですよね。
このパターンを1年間していくと、2年目はもう自分たちで、どんどん授業が動いていく、3年目は一番すごいですね。挙手なし発言で、順番に、どんどん子どもがしゃべっていくんです。
この授業を小学校に移ったときに、全部の教科にしたというわけなんですよ。
そこからビデオのような授業が生まれたんです。
さて、ここから先生が実際に実践されてきた詳しい内容が語られます。
通常、中学校の2,3年くらいで、教室の中で自分の意見を言うのってすごく抵抗感があるものですが、2校目の中学校の生徒達は、1年よりも2年、2年よりも3年って学年が上がると、子どもたちの挙手が増えてくるんですね。だから他の学校の先生からよく質問されましたよ。
『普通だったら1年の頃の方が挙手が多いのに、どうしてこの学校は、学年が上がるにつれて段々と挙手が増えていくんですか?』って。
そのときに僕らが答えたことは、
『段々と、安心が広がるからです。』
っていうことでした。
授業ってのは、その授業だけで出来上がっているものではないんですね。
授業の見学をした人に『どうしたらこんな授業になるんですか?』って質問されても、答えるのがとても難しいんです。
ある意味、今日の授業を見てもらっても、何のヒントもないわけです。
子どもたちが自ら手を挙げていくような授業をしようと思ったら、普段の学級活動、朝来て帰るまでが全部その要素として成り立ってるわけなんですね。
掃除さぼってる子どもたちに、教師が『こら!』って怒ってる間は、そんな学級はできないわけです。
問題が起こる度に、自分たちで考えるチャンスを与え、一緒に解決方法を考える。
4月の初めからそういうことを繰り返すことが大切です。しかも、学校全体で。
トラブルを起こしたら、そこで徹底的に解決方法を教えていく。そうすると、段々とトラブルの解決方法がわかってきて、自分たちで解決しようとするようになる。
解決しようとしないのは、『子どもの性格なんでしょう』って言う人がいるけど、違うと思います。解決の仕方を教えてないから子どもは解決ができない。解決の仕方がわかってくると、それをアレンジして子どもたちならではの解決方法が生まれてくる。
とにかく、考えなきゃいけない環境においてあげることです。
『何々しなさい』っていう指導は下手な指導だと思います。しなさいって言う暇があったら、しなければならない状況においてあげればいい。これが全体でできるかどうかです。
小学校を教えた時にBちゃんという子が、6年生の最後の文集で、『最初、先生の授業が恐かった。反応しなければならないというのが、私は恐かった。けど、段々その意味がわかってきた。』と書いていました。
学習にルールはいると思っています。でも、そのルール性に対して拒否反応を示す子は絶対にいるんですよ。
これはどんな授業をしてもそう。
テレビみたいに、みんながよかった!みたいにはならない。
それはそれで良いと思っているんです。
その子たちはその1年で答えを出してもらわなくていい。
そうやって書いてくれたBちゃんが、中学校に行ったときにどうしてたかというと、小学校でやっていた授業を一生懸命、先頭切ってやってたんですよ。
別のところに行った瞬間にこれまでやってきたことの価値がわかる。
これが大事なんですよ。
教師って、私がいる時にだけ良い授業してもダメなんです。
次の進学先に行った時に生きる授業をするのが本当の良い授業だと思っています。
その教師の持っている力っていうのは、その子たちが自分のところを離れた時に初めてわかるんじゃないでしょうか。
ここで一旦休憩します。ここまでを読んでいただいて、ご自分のことを少し振り返っていただいてから、次のページへどうぞ。
インタビューアー
稲垣 友仁(いながき ともひと)
金沢大学教育学部卒業後、三重県公立中学校教諭、小学校教諭を経て、三重県教育委員会へ出向。その後、14年間勤めた公務員を退職し、教職公務員からプロコーチへの転職第1号となる。日本にコーチングが導入されたコーチング元年(97年)からコーチングを導入し、問題児の個性を活かして才能を開花させる奇跡のコーチング手法で、これまでに500人以上の子ども・親に対してコーチングを行なってきた。教育現場を熟知した本格コーチとしては、国内随一の実績を誇る。
現在では、各都道府県教育委員会・行政機関・各教育現場に対してコーチングの講演・導入アドバイザーとしても活動中。講演・プロデュース数は年に100本を越え、10,000人以上の教育者・学生達に対してコーチングを伝えている。
中学校教諭時は、サッカー三重県代表U-14のコーチも務める。
国際コーチ連盟(ICF)認定プロフェッショナルコーチ(PCC)
2007年・2008年三重県教育委員会「教育コーチング推進アドバイザー」
国立宇都宮大学大学院工学研究科「共創コーチングアドバイザー」
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